絶対の自由と束縛

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(とある人が書いた詩の幾つかを転載します。)(以下、とある人の言葉を一部抜粋して転載したものです。私の言葉ではないので、コメント欄は閉じてます)



うん、そして、別の未来、別の過去の選択ということなんだけど、選択というのは、肉体人間の立場から書かれている。本質的には選択するんじゃなくて、流れそのものになるんだ。流れそのものになったとき、肉体人間の側から見れば、あたかも、自由に選択したように見える。

で、絶対の白由というのは、絶対の不自由。例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。ひまわりは、ひまわりとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。だから、それは絶対の束縛でしょ。



自分の与えられた流れは桜かもしれないし、それとも雑草かもしれない。でもそれを咲くことだ。だからそれは、絶対の自由であり、同時に絶対の不自由。ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこと。

でもそうじゃない。一番自分にふさわしい流れというのは、既にあるんだ。その流れに自分達が一致した時、そして一致させるためには、素直になることだ。一致した時、ほんとにその人は安らぎを得る。そういうわけで、別の未来、別の過去ということは、あなたがあなたに忠実になったということ。

よろしければ、ご協力お願いします。

*この下に表示される動画やリンクは、うちとは関係ありません。(・ω・)

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